闇より深い闇ブログ

闇深き奇天烈人間のブログ

カミングアウト

きっかけは親しい人が受けたひとつの検査だった。

 

それまでにも耳にしたことはあったが自分とはあまり関わりがないと思っていたASDADHDのことを調べるようになったのはつい最近のことだった。

 

ADHDの本はさておき、ASDの本にはそのまんま私のことが書かれていて本を落としそうになってしまった。

少し自分語りになってしまうが、私という人間に興味をお持ち下さっているご奇特な方にはお付き合い願いたい。

 

以下、ASDの特質として自分に該当すること。

「他人に関わり傷つくことが多く、結果ひとりでいたい」「人が笑っているのを見ると自分が嘲笑されたように感じる」「«だいたい»や«適当»がよくわからない」「沢山の人と同時に話すと会話が聞きとれない」「融通がきかない」「協調性が足りない」「«普通は言わない»という表現で意見されがち」「先読みすることが苦手」「わからないことを自分で考えるより前に聞いてしまう」「モノの配置を変えると落ち着かない」「自分の決めた通りになっていないと怒りが起こる」「ホッとリラックスできる場所がない」「家で休んでいると家族に嫌な顔をされる」「外出から帰宅すると動くことができないほど疲れる」「人の話し声や光、服の質感などが気になってなにかに集中できない」「いつも人の目が気になる」「予期せず触られると驚く」「幼少期の不眠症」「特定のものに強い執着を示す」「幼少期に図鑑などを暗記するほど読んでいた」「摂食障害に陥りがち」「説明するときに細かいデータを盛り込む(まさに今!)」「たわいもない雑談が苦手」「興味のあることは徹底的に寝食を忘れて打ち込む」「関心がもてないことにまったく反応できない」「ルール通りにことが進むと安心する」「初めてのことに挑戦するのが苦手」「超完璧主義」「修学旅行などの集団行動が苦手」「地図が苦手」「手先が不器用」「よく転ぶ」「幼少期から猫背」…

幼少期から同年代の子供と遊ぶことが苦手だったし、複数人で行うゲームやスポーツなどは自分が咄嗟にどう行動したらいいかわからずフリーズしてしまうことが多く、それに劣等意識を持ってしまうのが苦痛で敬遠するタイプだった。

 

該当しないことも多少はある。

目を見て話すことは自然にできるし、最低限の社交性も培ってきてはいるから社会に溶け込めているフリをすることもできる。恐らくは言語の乱れや遅れもない…と思いたい。

勉強も嫌いではないし、相手を傷つけないような言葉を選ぶことも最低限はできている…といいな…

 

仮定して想起してみると、いわゆる定型発達の人と自分の感覚が違うことに悩まされることも多くあった。

「強い口調で責められるとパニックに陥り、その後トラウマ化」したり「ずけずけものを言う人の言葉に想像を絶するダメージを受ける」ことは日常茶飯事だ。

あとASDの人は辛い記憶がトラウマになりフラッシュバックを起こすことがとても多いらしいのだが、これにも本当に共感できてしまう。

 

そして、どうしても受け入れ難いタイプが存在する。自分ができることは他人もできて当たり前と思い込みそれを強要し、できない相手を理解できないタイプの人だ。

これ以上話すと傷口が開くだろうと察知して距離を置こうと離れても追いかけてきて話を続けようとする相手はもっと無理。パニックを起こしてしまう。

「この人は合わない」という人は不思議とわかるもので、できればその人にはあまり近づかないのがいちばんいい。(私のようにその相手が自分の親だとそうはいかずにただただ地獄なのだが…)

 

先日、私はあるネガティブなツイートをしてしまった。

そのツイートに対してではないというお話ではあったしそうなのかもしれないが、絶妙なタイミングで「誰かに意見されたからといっていちいち反論しなくてもいいのに」というツイートをある方がなさっていたのを見てしまった。

私はそれが自分に宛てられた言葉のように感じてしまい、とても悲しくなってしまった。

 

私はASDかもしれない。

だからといってASDのせいにして全てを容認して欲しいなんていうつもりはない。

私は弁明や反論がしたくてリプをつけるわけではないし、全ての人に自分の考えを理解して欲しいなんて1ミクロンも思ってはいない。それどころか私の考えかたの方が異端であり受け容れてもらい難いものだということも重々承知している。

ただ、叶うのであれば「こういう考え方しかできない、貴方たちとは違う世界の見え方をしてしまう人間もいる」ということをほんの少しでも認めて貰えたら嬉しいのだ。

 

ネガティブに、くそ真面目に、臨機応変さを微塵ももてずに物事を捉えることしかできないのは辛い。

ポジティブになれないことは苦しい。

でも、どうすれば「そちら側」にいけるのか皆目見当もつかないのだ。

「そちら側」にいるフリをして普段は頑張って生きているけれど、余裕がなくなってしまったり気を抜いたりすると「こっち側」の本来の自分が顔を出し暴れてしまうのだ。

 

 

悲しく残念なことだが、ASDにもADHDにも他の発達障害にも一定の偏見が存在することを私も知っている。人は皆、多数いる側を「当たり前」や「普通」と考える生き物だから仕方ないとも思う。

だから今まで私と親しくして下さっていた方の中にも或いは「あの人はASDかもしれないんだ…」と私に対して差別や偏見、同情などの負の感情を持たれる方がいらっしゃるかもしれない。

「面倒くさそうだから離れた方がよさそうだ」とお思いの方は、どうか遠慮なくブロックでもブロ解でもして下さって構わない。

 

私は私という人生しか知らないからこの世界の見え方が当たり前だけれど、そうは見えない人たちの方が多いのだということは十分理解しているし、そちら側の世界にはどう足掻いても自分は行けないのだということにも納得している。

 

こんな私と繋がりをもつことで不快になってしまわれたり気を遣われてしまわれるような方がいらっしゃるのはとても申し訳ない。

「こんな重い話、わざわざしなければいいのに」とお思いになる方も多いだろうし、それが多分一般的な正解(?)なのだろう。

 

けれど、私は私でいたい。

私でいたいけれど、そのせいで誰かを傷つけたくもない。

だからきちんとお話をしておきたいと思った…それがこのブログを書いた理由だ。