作曲を始めた日
子供の頃から聴覚だけはよかった。
小さな音を聞き取ることができるという意味でも、どんな音も聞き分けることができるという意味でも。
存在する音を音階として理解できる能力を絶対音感などというが、一応はそれも持って生まれた。全ての音は7つの白鍵と5つの黒鍵に瞬時に置換できる。
そして例えば曲が流れてきた時に頭の中でひとつの音だけに集中してピックアップすることもできるから、いわゆる耳コピはとても得意だった。
音楽が大好きで小学生時代にピアノを習い始めたのだが、手が小さく指が短いために1オクターブの和音を弾くのがやっとですぐにつまらなくなってしまった。
当時からひねくれ気質だったので、先生から「この曲のこの部分は優しく、そこは力強く」と指示をされて納得できないこともあった。
今でも私は「その作品のことをいちばん理解しているのは作者だ」と頑なに思ってしまっている部分があるので、どれだけ素晴らしい演奏家がその音を奏でたとしてもオリジナルには到底適うものではないと思ってしまっている。この発想をもつ人間は演奏者にはあまり向いていないのではないだろうか。
好きなアーティストがいて、その人に会いたいと恋焦がれたという邪な事情もあるにはあるのだが、ある日唐突に「あ、自分で作る方が早いなこれは」と思ったのが作曲を始めたいちばんのきっかけだった。
オリジナルを越えられない作品の模写のために練習を積むぐらいなら、自分がオリジナルを生み出す方が早くて確実だという発想だ。
思い立ったら吉日で貯金を全額突っ込んでシンセサイザーを買い、適当な感じで友人に聴かせるために1曲作ってみたところ、意外といける気がした。
見よう見まねで始めてみたら意外とできるものである。
友人に褒めてもらえたことに気をよくした私はもの凄いペースで曲を量産していった。
けれど本気で創作と向き合い、私の創作家としての本能が目覚めてしまった瞬間から、私の地獄は始まった。
いつからか私にとって曲を作るということは「自分と対峙すること」になっていた。
自分のいちばん奥深くに潜むどす黒い感情と向き合い、腐った腸を引きずり出すような作業…それが「曲を作る」ことだった。
明るい曲なんて1曲も作ったことはない。
いつも世を儚み、己を呪い、孤独に雁字搦めになりながら、恐らく誰からも望まれないような醜い自分の分身を生み出すような作業だった。
それでもいつかその行為が唯一無二の自分の生き甲斐になっていた。
音楽の中では私は何度でも大嫌いな自分を殺めることができた。
それは究極の自慰行為だ。
将来を考えなくてはいけない年齢にさしかかった時、私にはもう音楽以外の道はないと確信していた。
人は生きていくためには何かしら収入を得なければならない。霞を食べては生きていけない。
若かった私には趣味として続けていくという発想は一切なく、じゃあ要は作曲で稼いで生きていけばいいのだと無謀にも結論づけてしまった。
当然、親は猛反対。音楽で生きていけるひと握りの人間に自分の娘がなれるとは考えはしなかった。尤もである。
とはいえ私は負けん気だけは強いので「結果を出すから認めてくれ」と打診した。
私の波乱万丈の人生・第2章の開幕である。