独白
薬を飲んでも上手く眠れない。
慣れない抗うつ剤のせいで日中も気怠かったり憂鬱だったりで機能していない。
なんなんだ、私という生き物は。
果たして生きている意味があるのだろうかと、一日に何度も考える。
本を読むことが好きだった。
ジグソーパズルを組むことが好きだった。
カラオケで歌を歌うことも、音楽を聴くことも大好きだった。
今はそれら全部にもう、以前ほどの情熱を注げない。
美しい景色を見ても悲しい。
新しい精神科の先生曰く、私の自己肯定感のなさは幼少期に培われたものなのだろうというお話だった。
そしてそうやって培われ続けてきた拗れた精神は他者から否定されることに過敏に反応してしまい、PTSDを起こしてしまうのだそうだ。
眠ろうとしても過去に言われたことやされたこと、起きてしまった衝撃的な出来事が映画のワンシーンのように次々に蘇ってきてしまう。そして感情が崩壊してしまい、どんなに強い睡眠薬を飲んでも眠れない。
やがてはそのトラウマシーンに登場する人を恨み始めてしまうのだ。「私はこんなにも辛いのに、あの人は美味しく食事を摂り、家族や親しい友人たちと談笑し、夜には熟睡できている。なんという理不尽なことだ。一日でもいいから私と同じ苦しみを味わえばいいのに…」と。
そんな風に考えてしまう自分の醜悪さに耐えられなくなり、身震いする時がある。どうすればこの憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。人を憎まずいられるのか。
新しく処方されたのはPTSDにも効く抗うつ剤らしいのだが、残念ながら未だに効果は出ていない。
この中途半端なASD気質にも辟易している。
生まれた時から私の心の真ん中にある大きな穴は生涯埋まらないものだと理解しているのに、それでも時々疼くのだ。淋しくて、切なくて、悲しくて、痛くて、穴を必死に両手で押さえてみようとしてしまうのだ。そんなことをしても埋まりはしないのに。
独りがいちばんいい。傷つかずに済むから。
でも独りが淋しい。たまに無性に。
この矛盾からくる疼痛も時折私を酷く悩ませる。
命は尊い。
生き物は好きだ。(人間、特に無邪気故に残酷な子供は苦手だが)
だけど自分の命に価値があるとはやはりどうしても思えない。
あちこちボロボロな私の体は放っておいてもそう長くは保たないだろうと悟っているし、生きる理由がないのと同じように今すぐ死ぬ理由も見当たらないから今日も生きてはいる。
けれど私はただそれだけのくだらない生き物だ。
これを「うつ病」と言うのであれば、私は生まれた瞬間からその病に罹っていたのだと思う。
これは不治の病。
そしてじわじわと侵食されて、いつか私は闇の底に堕ちてしまうのかもしれない。
けれどそれは私本来の居場所に還ることと同義なのかもしれないとも思う。
私は闇の眷属だから。