メンタルクリニック
今日は月に一度のメンタルクリニック受診日だった。
少々辺鄙な場所にあり、公共交通機関を使っての通院だと恐ろしく時間がかかってしまうので最短距離を自転車で行くことにしている。
ほとんど効かない睡眠薬と抗うつ剤、頓服の精神安定剤を頂くために通う片道40分のサイクリング。
今かかっている病院ではカウンセリングを受けている訳ではないので診察は10分ほどが上限だ。
先生が電子カルテに入力なさる時間も必要なので、説明は最低限にまとめてお伝えしなくてはならない。
結果、いつも「しんどいことが色々ありました」や「生きているのが辛いです」に凝縮されてしまう。
先生も環境を変えることができないことは十分理解して下さっている。
家庭内は変わらない。物理的な逃げ場はない。そしてしがらみ全てを捨て置き自分だけ自由になりたいと思えるほど私は冷淡にはなれないし、そもそもそこまで生というものに執着がない。
だからもう対処療法しかない。
薬で可能な限り衝動を抑え込むしかない。
家庭内が地獄絵図なのだから、せめてそれ以外の場所に救いがあれば…と先生も仰って下さる。
でもそんな場所もどこにもない。
心のいちばん深いところで誰も信用することができない。
「あなたがいちばん」と言われても「いちばん」という言葉の段階で拒否反応が起きる。
普通は「あなた“だけ”」であるべきなのではないのか。いちばんということは2番もあるわけで、だったらそんな気持ちはご遠慮申し上げたい。100じゃなきゃいらない。…となってしまう身の程知らずの贅沢な人間なのだ。
それにそもそも何かに順番をつけること自体が好きじゃない。2番以下の気持ちを考えてみたことがあるのか…まで考えが及んで苦しくなってしまう。
めんどくさい人間だと自分でよく理解している。だから自分から率先して他人に近づいたりはしない。
誰かに依存したいと思ったこともない。依存させてくれるような奇特な人が存在するわけがないと達観している。(依存されたいとはたまに思うが)
優しくされたいから誰かに優しくしようなどという駆け引きめいた感情で動くこともない。思いやりは自発的なものであり、そこに損得感情が見え隠れした段階でそれは優しさでもなんでもない。
自分がされて嫌なことは相手にしない…それも当たり前のことだ。
だけど現実にはあちこちに駆け引きが存在し、自分の醜さを痛感する場面ともたくさん遭遇してしまう。
原因が何だったのかを考えてももはや意味はない。
今、自分に起きていることひとつひとつと上手く折り合いをつけていくかしかない。
わかっている、わかっているのだが私は弱い。
弱すぎるのだ。