卑下とは
よく「そんなに自分を卑下するな」と言われるのだが、この言葉の意味が正直全く理解できない。
卑下している感覚は全くなく、自分が無価値であることをただ理解しているだけだからだ。
私の母は着物のモデルだったので若い頃は本当に美しかった。ポスターや雑誌などが幾つか残っているが、顔の大きさや骨格が私とは別の生き物だと思う。
そんな母とずっと比較されて生きてきた私は自分の醜さを誰よりも理解している。
お誕生日のプレゼントに外車の鍵を渡されたり、有名な俳優さん達と華やかな交流があったり、プロ野球選手とお付き合いをしていた時代をもつ母の武勇伝は私にとってはおとぎの世界でしかない。
父のことは正直よく知らないしわからないのだが、会社の経営が傾くまでは「偉大な人」だったことだけは理解している。
ドラマなどでよく見かける「ヤクザの組長みたいな顔をした不動産会社の社長」そのまんまの人だった。
経済力があることだけが偉大さではないが、きっと見える世界や器の大きさが違ってくるのではないかとは思う。
父には私の他に娘が3人いたので、いつも比較をされていた。
その中で私はいちばんの劣等生だったのだと思う。成績は悪い訳ではなかったけれど「音楽」という先が見えない世界を選んだ段階で「まともじゃない」と言われた。
そしてとても可愛くない性格だったから、他の娘たちは誕生日に外車や高級な時計をねだって買ってもらうのに「別に何もいらない」と突っぱねてきた。何かもらう時には相手が選んでくれるものが欲しかった。ものの値段ではなく、その気持ちで愛情を確認したかったのだと思う。
作曲家を志しプロの先生の弟子になった後、自分には歌の才能がないことも痛感した。音楽にだけは絶対的な自信を持っていたがそれは自惚れでしかなかった。
譜面通りに歌が歌えるからといってそれでは通用しない。誰かの心を動かせるような声や説得力のある歌唱力、そういうもの全てを兼ね備えたひと握りの人にしか到達できない世界がある。
絶対音感があろうとも、譜面通りに完璧に歌えようとも所詮その程度。もっと凄い方々は星の数ほど存在することを痛いほど知った。
もちろん私はシンガーソングライターになりたかったわけではないのでそれだけで絶望はしなかったが、歌うことは自分の取り柄ではなくなった。
卑下ではなく、私には自分が胸を張って「これだけは負けない」と言えることが何もない。
可愛みもないしすぐぐるぐるする。
「私なんて…」しか言わない人間はめんどくさいし他人から嫌われるということも理解している。
でも生まれた時からずっと「どうしてあんたはそうなんや」しか言われてこなかった人間には自分を肯定するという感覚がわからないのだ。
へりくだっている訳ではなく、そこが自分の場所だと叩き込まれ理解しているだけなのだ。