闇より深い闇ブログ

闇深き奇天烈人間のブログ

カウンセリングとSNS

数ヶ月前に精神状態を著しく崩し、現在は2週間に1度のペースで精神科のカウンセリングを受けている。

私を担当して下さっているカウンセラーさんは御歳80歳の大ベテランさんなのだが、その方をもってしても私の現状は「詰んでいる」もののようだ。

 

毎回斬新な喩えやアドバイスを受け、脳内にクエスチョンマークを沢山飛ばしながら帰宅している私なのだが、今週のカウンセリングでは久々に地雷が発動してメンタルゲージかエンプティ寸前までいってしまった。

 

私のメンタル崩壊維持の原因は「家族との関係」と「あまりにもポンコツすぎる自分の健康上の問題」が二本柱であり、そのどちらも自力で改善できるものでも距離を置けるものでもない。

そのため、カウンセリングの大半は「八方塞がりですね」「蟻地獄みたいですね」などの同情的な話に帰結してしまうのだが、今回は新たな提案があった。

それが「SNSに救いを求めてみては?」というものだった。

 

カウンセリングを沢山なさっているとやはり様々な悩みを抱えておられる方のお話をお聞きになる機会がおありのようだ。その方々の中にはSNSで同じ痛みを抱えている方と交流することで症状が緩和なさっていくケースもあるらしく、私の場合もSNSで親しい人を見つけ、その方々と補完しあうのがベターなのではないかという提案をして下さった。

 

だが、私がここまでメンタル崩壊を起こした直接的な原因はSNSである。確かに家族の心ない言動に心を痛めつけられ、薬なしでは動けない体で生きていくことも厳しい。

でもそんなことはもう何十年も続いていることで、言うなれば耐性がついていることだ。

 

私のメンタルをここまで粉砕したのはSNSの向こうに存在する1人の女性の言葉であり、未だに夜中になるとそのやり取りを思い出しては拒否反応に苦しめられる日々を送っている。

 

カウンセラーさんが仰るまでもなく、私はSNSの中に救いを見出して生きている。

こんなご時世だから現実世界で友人を作ることはなかなかどうして難しいし、出逢える人にも限りがある。けれどSNSでは共通の趣味をもつ人や同じ病や境遇に苦しむ人とも繋がることができる。だから今では友人たちよりTwitterやdiscordで繋がらせて頂いている方々との繋がりの方が深く感じるようにさえなっている。

 

けれどその女性はSNSに拠り所をもつ私を「怖い人」と言った。ネットの中にいる見えない相手は信用できず気持ち悪い存在なのだろう。

そして共通の親しい知り合いに悪影響を及ぼす害虫のように言われ、私が大切にしている聖域に土足で踏み入り荒らしていった。

私は確かにここに存在するのに、ただ距離があって会えないというだけで、ただ出逢い方がSNSだったというだけで「信用ならない人間」というレッテルを貼られ、気持ち悪がられ、頭のおかしい人間のような扱いをうけたことの衝撃は凄まじかった。

理解はできる。確かに直接会ったことのない人をどこまで信用してもいいものかは難しい。SNSに綴られている文章は究極の甘言ばかりかもしれない。詐欺師やペテン師だっているかもしれない。

でもそれは現実世界だって同じだ。人を平気で傷つける人だって、騙す人だって存在するではないか。

どちらが正しい、どちらかだけが正しいという訳ではないと私は思うのだ。

 

その一件が引き金となって不眠症と食欲不振に陥った情けない私。なんという脆弱な精神なのか。

「気にするほどのことはない」「忘れた方がいい」と言われるごとに忘れられず苦しみ続けている自分の弱さにますます嫌気がさしてくる。

会ったこともない相手にここまで追い詰められズタボロになっているという現状が恥ずかしすぎてカウンセラーさんにも話せない。

 

そもそも数日しか接点を持たなかったのに、彼女の言葉は恐ろしい殺傷能力を持っていた。未だに夜な夜な私はあの日のあのやり取りに殺されかけている。

今ではもう接点もなく、私を心配して相手の動向を探り続けてくれている友人(もはや密偵)からの報告がない限りは目につくこともない。

それでも1日たりとも忘れた日はないし、これを世間ではトラウマというのだろう。

 

SNSに生かされ、SNSに殺されかけた私の話もいつかカウンセリングで話さなくてはならないだろうか…それは少し惨めで情けない。