分厚い壁
悲しいことだけど、相容れない相手というのは存在するのだなぁ…と痛感することが多い今日この頃。
たまに、なけなしの脆弱豆腐メンタルが地面に叩きつけられて跡形もなくなってしまいそうになることもある。
決して自分を正当化させるわけではないのだが、病気というものは当事者が必死に頑張ってもどうにもならないことが時としてある。
それが傍で見ている人の目に不快に映ってしまう場合、歩み寄る方法は残念ながらもうない。
「ごめんなさい、見えない場所まで離れて下さい」と言うことしかできない。
例えば精神を患ってしまった時、逃げても逃げても追いかけてくるのが希死念慮だ。決して逃がして貰えない。
当人も辛い。できることなら明るく生きてみたい。でも、それができない。
そんな葛藤や苦悶を傍で見ている人もまた、それが苦痛になってしまうことがあるのも仕方ない。理解して傍にい続けて欲しいなんて言えない。「見たくない」と言われたらお別れするしかもうない。こちらも「見せたくはない」のだ。
つい先日、「病気のせいにすれば何でも許されるって訳ではない」という言葉を聞く場面に遭遇してしまった。
この言葉には殺傷能力がありすぎた。
私が直接言われた訳ではなかったけれど、同じ病を抱えている人間として、その言葉を聞いた時には悲しくて胸が苦しくなった。
許して欲しい訳じゃない。病気のせいにしている訳でもない。
病んでいない人の目にはそんな風に映るんだな…と改めて知ってしまい、なんだかもう、ただただ申し訳なくなってしまった。
病気を抱えていることも辛いけれど、それが原因で離れていく人がいるのはやっぱりちょっと切ないものだ。仕方ないと諦めてもいるけれど…