人生観
どんな人生も尊い。
綺麗ごとではなく、歳を重ねるとつくづくそう感じる。
目標を掲げ、あらゆることを犠牲にしてでも邁進する姿は言わずもがなに尊い。
けれど生きることに疲れ果て、それでも必死に己を奮い立たせ次の朝を迎える人のそれもまた尊い。
自分がグダグダな生き様を晒している私は大抵の人を否定しない。
善悪の判断もつかない幼子であればまだしも、いい大人に意見するのは烏滸がましいことだと思っている。
例えば借金を背負っている人がいたとして、その人に意見する権利があるのは「借金の肩代わりをして欲しい」と頼まれ実害を被りそうになった相手だけなのではないかと考える。言うなれば「一銭の手助けもしない人間が口出しすべきではない」と思うのだ。
同様にテレビなどで取り沙汰される不倫などのゴシップも然り。叱責できるのは裏切られた家族であり、事情の表面しか知らない人間がああだこうだと言うのはあまり美しくない。
勿論、自分の意見というものは持って当然なので「生理的に苦手だな」とか「自分は嫌いだな」と思うのは自由だとも思うが。
話を少し広げさせていただく。
掲げた目標や決めたことを守りきれない人がいたとして、それでも別にいいではないかとも思っている。
後悔するのも自分だし、後悔さえしないのであれば別にそれでもいいと思う。
人間なんて弱いものだ。この世界に「何がなんでも守らなくてはいけないもの」なんてないと思わねばやっていられないことも多々ある。
重複するが、目標というものは自分自身に課すものであり、他者のために遂行するものではない。
自分の人生は自分だけのものだ。
たとえ家族や恋人、或いは友人であってもその総てを丸抱えすることは極めて難しい。
人には心がある。
何に意味や価値、幸せを見出すかは人それぞれに違う。そして他者に迷惑をかけない限り、人には幸せになる権利がきっとある(と思いたい)。
私はグダグダの甘ちゃん人間なので、自分が大切に思う人たちがどんな人生を送ろうともエールを送る。
なんの手助けもできないぶん、せめて味方ではい続けたいと思う。
世間的には間違っているように見えることであっても、決して胸を張れないようなことをときにしてしまったとしても、その時その時に真剣に考えてした行動なのであれば否定はしない。(好きか嫌いかはあるかもしれないが)
それが私の人生観だ。